『言葉にできない想いは本当にあるのか』
書店で見かけて タイトルに惹かれた買った一冊。
言葉にできない想いは本当にあるのか (単行本)(いしわたり淳治/筑摩書房)
脳内では、オフコースの「ららら らら ららら 言葉にできない~♪」が流れていた。
表題の「言葉にできない想いは本当にあるのか」という問いは、冒頭の「はじめに」で、恋人に「愛している」と伝えるときを例にして、作詞家である著者が答えをだしていた。
私たちが言葉を使って表現しているのはいつだって「感情の近似値」にすぎない。その意味で、言葉は大なり小なり誤差を孕んでいるものではないかと思うのである。 (4頁)
そんな風に、私たちの口から出る言葉はいつだって、感情よりも過剰だったり、不足していたりする。・・・(中略)・・・事務的な連絡だけならば正確に言語化できていると言えるのかもしれないけれど、とかく「感情」という目に見えないものを言語化しようとすると、「言葉」という道具は意外と不便な部分が多く、それこそ「言葉にできない感情 」だらけではないかと思う。(5頁)
著者も書いている通り、日常のなかにたくさんある「言葉にできない感情」を、うまくとらえた表現を見つけたりすると、とても嬉しい。
テレビをあまり見ない私にとっては、本やTwitterがそんな喜びを与えてくれる場所だ。
著者が気になった言葉を取り上げたこのエッセイ集には、そんな喜びが詰まっていた。
初読の感想を少し書き置く
- 君のドルチェ&ガッバーナのその香水のせいだよ (15頁)
瑛人のヒット曲『香水』を題材に、作詞における視覚・聴覚・嗅覚・触覚的表現の取り入れられ方についての考察は、とても面白かった。
- 日によります(17頁)
なるほどな、私も使っていきたいなと思った。
- ギガ放題(23頁)
世の中に「携帯〇〇」は沢山あるのに携帯電話だけ「携帯」といって電話機をさすのもおかしなことだという著者の指摘に、「ですよね!ですよね!」と、意地になって「携帯」と略さずに「携帯電話」と言っていた全私が賛同していた。
少し話題からずれるが、携帯電話やスマートフォンで写真を撮ることを「写メを撮る」という表現をする人が周りに結構いる(30代後半より上の世代)のだが、これもひっかっかりのある表現だ。
カメラ機能付き携帯電話で撮影し、メールに添付する写真のことを「写メ」と呼ぶものだと思っていたので、「写真を撮ってメールで送る」一連の行為を「写メを撮る」という言葉でまとめているならば、理解はできるのだが、「メールで送る」行為を予定していない写真を携帯電話で撮影することを「写メを撮る」と表現するのを聞くと、ぬっ、と一瞬思ってしまう。つくづく面倒くさい私である。
- これからはじめてユーミンを聴ける幸せな人たち (46頁)
若い頃は「知らない」というのが恥ずかしいことのように思えて、手当たり次第に音楽や映画をあさっていたけれど、今は、知らないことはむしろ楽しみなことだと思うようになった。
まさに、今の私は「知らない」ということが恥ずかしいというか、「知らない」ということに負の感情を持っていて、とにかくいろんなものを詰め込みたがっている。学べば学ぶほど、調べれば調べるほど、知らないことが増えていって、少々疲れていた。
「知らない」ということをポジティブにとらえるこの一文に、私は少し救われた気がする。「知らない」ということは、これから新しいことを知るという楽しみが残っているということで、必ずしも「足りない」ことではないのだなと思った。
- 燃やすしかないゴミ (67頁)
短いエッセイだけれども、とても印象に残った。
- ちょっと変な思い出として残したい (138頁)
思うところがあったので、後日改めてBlogに書き残したい。
- だから毎日面白い、イエイ! (162頁)
「私、この前〇〇行ったじゃないですか~」との友人Aの話はじめにいつも「知らんがな」と突っ込みを入れる友人Bがいる。こういう話し方をする人と接続詞始まりの歌は”「ご存じ、私」という謎の圧のようなものを感じる”と書いていた。
「ご存じ。私」という表現がぴったり過ぎて感動した。友人Bは「ご存じ、私」圧を「知らんがな」波で押し返しているのだろう。
- 切りすぎた前髪 奈良美智の絵だ (203頁)
ラブソングというのは、極端な言い方をすれば”他人の恋バナ”にすぎない。興味もないのに一方的に聞かされる赤の他人の恋バナは退屈に感じるものである。そのため、歌詞でもなるべく聞き手に興味を持ってもらえるように、仕掛けを作る必要がある。
瑛人の『香水』ついての考察のエッセイと合わせて読むと、作詞の奥深さを感じる。
曲の中に気になったワンフレーズがあると、歌詞の解説Blogを検索して読んだりするが、「あぁ、そうなのか!」と思えるような上手な解説のできる人は、この作詞家によってちりばめられた「仕掛け」に気付ける人なのだろうと思った。
歌詞の中に「調べる」という自主的な行動を持ち込むことで、さらに聞き手の参加意識は高まる。
という考察にも、なるほど…‼とひたすら思った。
(余談)
白地に黒文字のタイトルと著者名だけのシンプルな表紙も良かった。多分、これくらいシンプルでなかったら、小田和正氏は私の脳内で歌ってくれはしなかった。