2020 certainly existed

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「1年前の今日」と、写真のアプリから通知がきて、iPhoneをひらいてみる

 

去年の春は、SF小説の世界に入り込んでしまったのか、というような事態の真っ最中

空白というか、すっぽりと、抜け落ちたような感じがしていたのに

iPhoneの中には、その日に食べたものや、飾っていたお花、空、検索した資料のスクリーンショット、買い物メモなんかの写真がたくさん残っていた

 

確かに、私の2020年の春は、生活は、存在したのだ

 

そう気が付いて、少し嬉しくなった

 

何より、日々の生活が楽しそうなのだ

 

自分の姿が写っている写真は一枚もないけれど、なんとなくこの写真を撮っていた私は、ニコっと笑顔だったに違いないと思えるのだ

 

まだ、たいした長さではないけれど、

思えばずっと全速力で走ってきた人生だったから、強制的に一時停止させられて

「私の足を止めないで!」とコロナに怒る反面、

どこかで、ボロボロで疲れ切った私を止めてほしいと思っていたのかもしれない

 

だからか、私はこの強制一時停止をすんなりと受け入れた

 

以前は、作った料理の写真なんか撮ることもなかった

(時間に追われすぎて、もはや作りながら食べていた)

毎日通勤する道も、朝は速足で通り過ぎ

帰りは重い資料の入ったバックや、買い物袋で両手がふさがって

道に咲く花や空を美しいと思っても、カメラを向けることはなかった

 

それが、去年の春以降

そういう自分の日常の切り取られた一瞬が、たくさんiPhoneの中に納まっていた

 

確かに、私の日常は存在したのだという実感とともに

私自身が少しずつ、大事に毎日を生きるように変わっていている感じがした

 

先の見えない将来への不安は尽きないけれど、

確実にある今を、愉しんでいるし、愉しみたい

 

 

心に平安をもたらすことができるのは自分しかいない

   ―ラルフ・ウォルドー・エマーソン 『自己信頼』―

 

 

スクロールしながら、去年の自分に励まされ

私の2021年の6月がスタートした 

 

大丈夫、こんなふうに、私は日々を楽しんでいたのだから、明日もきっと大丈夫