6月第1週・第2週

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 少しまとまって、ゆっくり時間をとることができたので、ノートやクラウドに保存してあった大量のメモを整理した。

 せっかくなので、残しておくことにしたメモの一部をここに書き置く。

 

  • 心に残った詩

フォルテとは遠く離れてゆく友に「またね」と叫ぶくらいの強さ

              千葉聡『そこにある光と傷と忘れもの』

進路室は海[22]この世界中から大きな拍手を : 連載/コラム : 読売新聞教育ネットワーク

 シンプルに、ものすごくまっすぐに情景が浮かんできて、いいなと思った。気になって調べてみると、作者の方は、高校の先生をされておられるようで、コロナ下の卒業式について書かれたコラムを見てますますこの詩にひきつけられてしまった。

 

www.toibito.com

  「ジェンダーバックラッシュ」というワードの意味を検索していて見つけた記事。

 

 何かを議論するときには、議論する者が同じ事実を共有していなければ、互いの事実に対する評価が妥当か否かを判断することができない。大学で論文を書く際に教えられたことは「何の事実をどういう基準で評価したのか、事実と評価は分けて書きなさい」ということだったから、事実の適示は必須と思っている。

 限られた文字数で、気楽に使うSNSでは、論文と違って、いちいち事実を全て羅列することなしに、評価だけ「感想」として出されている。だからか、SNS上では、前提にしている事実が投稿者と閲覧者で異なったりして、まともな議論にならずにただの罵りあいになっているのをよく見かける。

 誤解の発生が少ない表現を見つけることを、個人的探究テーマにしているので、どういった表現が、誤解のもとになったのか、「誤読の原因」を探る目的で、何やら焦げ臭い投稿のコメントやリプライ欄を時たま覗いたりしていたのだが、分かったのは、誤読も何も、ただ暴言を吐きたいだけの人、差別したくて仕方がない人も世の中にはいるのだということ、事実はどうだっていい人もいるのだということだった。

バックラッシュ派は、開かれた合理的議論を行うために必要なルールに関して、重大なルール違反を犯しました。何のエビデンスもない、まるでロジカルでもない言説であっても、しつこく言い続けていれば、国民にそれが事実だと信じさせることができる。そのことにかれらは気づいたのです。これがフェイクニュース陰謀論がはびこる今日の状況へとつながっていることは、もはや言うまでもありません

 私は学術が絶対だなどとは思っていません。学術にも多くの誤りがあります――女性に対するダーウィンフロイトの学説がそうであったように――。しかし学術にはその誤りを議論によって正していくシステムがあります。学術研究者は、自分の研究に関連する先行研究を必ず全部読むように教育されます。そうすることで先人の研究成果を――ときに批判的に――継承し、誤りがあれば正し、そこに自分が何を付け加えることができるのかを考える。そのようにして過去を今につなげ、今を未来につなげていくことが学術の歩みであり、さらに言うならば、人類の歩みなのではないでしょうか。何が正しいのかを決めることは決して容易ではありません。時代や地域によって結論が異なることもあるでしょう。しかし、いや、だからこそ、その「正しさ」を決める議論における最低限のルールは、何があっても守っていかなければならないのです。

 自分が、最低限のルールを破らないようにすることはもちろんだけれども、”何のエビデンスもない、まるでロジカルでもない言説”を事実であると信じない様に、しっかりと見定められるようになりたい。
 そのためには、日々、学ばねば。そう改めて思った。

 

 ランダムであてられた住所にハガキを出してみるというもの。

古いメモに「ポストクロッシングをやってみる」というのがあったので、登録してみた。最初の宛先はオランダの森の中に住んでいる方みたい。

 私は、手紙を書くのが好きなのだけれど、最近はLINEが主流だし、みんな忙しくてお手紙は負担に思うかなと思って、控えている。送る相手を思いながらハガキやカードをお店で選ぶ時間がとても好きなので、ポストクロッシングで、またカード選びの愉しみができた。

Postcrossing/ポスクロとは?世界中の人との文通を楽しもう! | かよこぶろぐ。

 

  • その他最近知ったこと

 ロックとロックンロールは違うものらしい。

 クラシックの発展の流れは、多少わかる様になってきたけれど、未だにポップもロックもパンクもディスコもよく分かっていない。この辺りを学んでみたいのだけれど、どの本読んだらいいのかな。

 

  • 観た映画

 インド映画『The Lunchbox』(2013年:邦題『めぐり逢わせのお弁当』)を観た。インド映画といえば、歌って踊ってミュージカル~な、にぎやかなものしか見たことがなかったけれど、この作品は、本当に静かで脚本と役者さんで魅せる映画だった様に思う。終わり方も良かった。

 お弁当の誤配送から始まる物語なのだけれど、まず冒頭30分くらいは、会社員のランチタイム事情や日印の満員電車の様子の違い等々、驚きがいっぱいだった。

 作中のインドのお弁当配達システムは、ダッバーワーラー - Wikipediaというらしい。

各家庭で調理したお弁当を配達するビジネスが出来上がった理由の一つが、「下位のカースト出身者が作った食事を食べることにも抵抗があったため」というもので、富裕層が家事使用人として雇っている人たちは、どの身分の人たちなのだろうかと、疑問に思った。同じカーストの人の作ったものでない限り食べないとすると、上流階級でも女性は家事労働から解放されないのかな、などと思ったり。少々調べてみたい。

 

 上の階に住む、イラのおばさんは、声だけで一切姿が出てこないのは何故なのかなと思っていたら、amazonのレビューによると、同じ家にいるのに携帯ばかり見て会話のない夫と、顔を合わせないけれど心の通じ合っているおばさんの二人を、イラの家の中で対比させることで、お弁当文通相手のサージャンもまた、おばさんと同じように、顔を合わせないけれど心の通じ合う相手として描いているらしい。

 映画を見ていて、「何故?」と思うことが出てきても、なかなか答えを自分で出せないので、映画を見た後は、いろんな人のレビューを観て、「視点」の勉強をしている。

 

youtu.be

 

次にインド映画を見るなら『あなたの名前を呼べたなら』を観てみたい。

 

 6月に入ってから、予定通り韓国語の学習をスタートした。最初は、ハングルの基本文字の読み書きを覚え、文法の基本事項をひととおりさらっと流した。キクタン韓国語(初級編)の例文と訳をノートに書き写し、発音のカナ書き、助詞や活用形などを書き足していく、という方法で取り組んでみた。

 ハングルの読みがまだ定着していなかったのだけれど、この方法でやっていくうちに、いつの間にか、単語の意味は分からなくても読みだけはできるようになってきた。

 2週目もこの感じで続けていきたい。

 

 どうでもよいのですが、「ポムポムプリンは、春春プリン」などとよくわからないフレーズが頭に降ってきて、「そうだね、確かに彼の誕生日は4月、春だったね。」などど頭の中の誰かがつぶやいていた。※韓国語で春は「봄」(ポム)。