6月第3週目

 

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毎週メモ代わりにブログを書いていたのに、下書き保存したままだった。
6月第3週目に見たもの・読んだもの・考えた事を書き置く。

 

 杉山卓史先生「触れることの美学(前)」

京大のオンライン講座 立ち止まって考える 「触れることの美学(前)」を視聴。 

全盲とろうの方々は、触れることで事物を認識しているから、「接触を断つ」コロナ下では生活に大きな支障がでたというような話を聞いて、視聴覚に障がいのある方々の大変さに気づいていなかったことを反省した。

 

モリヌークス問題 - Wikipedia(「球体と立方体を触覚的に判別できる先天盲者が開眼手術を受けたとき、開眼した盲人は視覚だけで球体と立方体を判別できるか?」という問題) についての所で、白内障手術は紀元前にすでにあったと聞いて驚いた。凄いな。

 

・質疑応答の中で(59:28あたり)モリヌークス問題は、「科学の発展によって意義のある問題ではなくなる」という質問に対し、「経験的な事実を無視してはならないと思うが、経験的なデータを哲学の側がどう解釈するのか、一つの態度表明を迫る格好の事例であるとは思う。」という旨の回答をされていた。

証明された科学的事実(現段階では結論的には「判別できない」らしい)があって、それでもなお考える意味は何なのかと私も疑問に思っていたけれど、その事実を受け止めたうえで「見える」ということの概念的意味の探究、面白いなと思った。

 

 

 

youtu.be

 

 

RUN!BTS 140・141

KPOPアイドルBTS(防弾少年団)のバラエティを視聴。ところどころ聞き取れる単語があって、韓国語学習の成果を実感できて嬉しい。

「끝(ックッ)」(終わり!)という単語はもう絶対に忘れない(笑)

 

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https://youtu.be/oK7LiJxmL84

 

・チェギチャギ

 小学校の時に、総合学習だったかで外国の文化を学ぶ授業があって、チマチョゴリを着たり、チェギチャギを作って遊ぶなどしたなと、思い出した。映像に出てきたようなキラキラしたものではなくて、輪状の金属を和紙で包んで作ったような記憶が。

 ちなみに私も3回はできてなかった。遠くに飛んでいかない様に、足首とチェギチャギ本体を紐で結ぶという邪道な遊び方してたと思う。難しいけど結構楽しかったなと、遠い記憶を掘り返してもらった。

韓国のお正月遊び | 名節(旧正月・秋夕) | 韓国文化と生活|韓国成果「コネスト」

 

 

・出張十五夜

 BTSの回で初めて見て、久しぶりにバラエティー見て純粋に笑えたので、他の回も見てみた(日本語字幕もあってびっくりした。)ら、全く知らない俳優さんたちの回でも面白かったので、このナPDさんの作る番組はもしかしたら私の好みなのかもしれない。

www.youtube.com

 

・コッヘル

キャンプ用の調理器具、「コッヘル」という名前なのね。

 

 

 

読んでいるもの

『めくるめく現代アート イラストで楽しむ世界の作家とキーワード』

ずいぶん前に買って、かいつまんでしか読めていなかった本を、改めて最初から通読中。

 紹介されていたアーティストに関連して思い出したこと、調べた事を少々

・(40頁) Joseph Beuys (ヨーゼフ・ボイス - Wikipedia)は、緑の党の結党に関与していたそうな。緑の党といえば、少し前にみた映画『帰ってきたヒトラー』で、現代にタイムスリップしたヒトラーが、「今のドイツの政党のうち良いと評価できるのは、緑の党くらいだ。」というような趣旨のセリフがあったし、ボイスは、ヒトラーユーゲントに加入していたこともあったから、緑の党はどういう思想のものなのだろうかと軽く調べてみた。(→同盟90/緑の党 - Wikipedia

 

・ドイツはいったいどういうきっかけで環境先進国になったのか、気になっていたのだが、ナチス・ドイツ以前から環境主義的なところがあって、ここにナチスファシズムが合流して環境主義を理由にして全体主義権威主義・人権抑圧などを正当化するエコファシズムにつながっていったらしい。

環境法を学んでいると、規制にあたって南北間の公平*1や民族文化の保存の問題が出てくる。これらの問題を「環境保護」の前では一切無視してよいとするとエコファシズムとなるのだ、とひとまず理解した。

緑の党は、一つの政党として、選挙で議席を獲得し、民主主義のプロセスに乗っ取って、環境保護を実現していこうとする。

 

民主主義社会においては、このやり方が適切である。

 

ただ、民主主義はあくまで多数決によって物事を決めるシステムであって、決められた物事が常に「正しいこと」「正義」であるとは限らないということを忘れてはならない。そこで、多数決で少数者の人権が不当に侵害されない様に、人権保障を定めたのが憲法である。だから、憲法は重要なのである。

 

とはいえど、憲法も多数決で変えられてしまうものなのである。

だから私たちは、学ばなければならないのだ。多数決が少数者・弱者の虐待になっていないか、この先起きえないか、状況をよく理解できるように。そして、学ぶだけではたりない。少数者の人権侵害が起きているとわかっていても何とも思わなければ、「それは間違っている」と声をあげることもないだろう。倫理観というか、他人の痛みを自分のこととして受け止められる感覚がなければ、最後の砦も機能しない。

学び、感じる心を忘れずに生きたい。

 

・ボイスの「社会彫刻」(芸術とは未来の社会を創造性によって構築していくこと)という芸術概念からすると、社会活動家は皆「芸術家」ということになるのだな。

 

Wikiには大学との訴訟で勝訴、教授に復職はできなかったけれど教室使用は許可されたと書いてあったのだけれど、どういう理論構成だったのかな? 解雇に対する訴訟ならば、通常は解雇取消、教授たる地位の確認請求とかになると思うのだけれど、これに「勝訴」したのなら教授に復職できたのでは?と疑問に思っていたら、別のサイトでは、

ボイスは1972年に当時の州文科省大臣によって芸術アカデミーの教授職を解雇されて訴訟で争っていたが、後にヨキムセンが文科省大臣に就いていた1978年に、この訴訟は和解に至った。

http://www.newsdigest.de/newsde/features/11978-joseph-beuys/

とあるので、訴訟による決着ではなく、復職は認めない代わりに教室の使用を認めるという内容の和解で終わった、という感じなのだろうか。

 

・ボイスの活動・作品をもっと見て、「社会彫刻」の思想をもう少し理解したいなと思った。次は作品集を見てみようと思う。

 

*1:『環境法BASIC〔第2版〕』32頁