6月第4週-7月第2週目

6月第4週~7月第2週目までの間に気になったニュースについて雑感を書き置く。

 

 

 

夫婦別姓訴訟最高裁決定

注目していた一連の夫婦別姓訴訟のうちの一つについて、最高裁大法廷決定が出された。

今か今かと速報を待っていたが、すぐには判決文全文が裁判所ホームページに掲載されないので、どれだけ判決内容をすくって報道しているか、報道各社の力量の差を感じた。今回の裁判は、非訟のため公開されないから、報道各社は原告弁護団の記者会見の前に入手した裁判所から配布された概要で報道したものと思われるが、15時の弁護団による決定正本受領、16時30分の記者会見の前までに出された各社の速報の中では、この記事(夫婦同姓「不当な国家介入」 最高裁判事4人が違憲判断:朝日新聞デジタル

)が一番詳細を伝えていたように思う。

 

もう少し待てば、調査官解説や憲法学者の評釈が出てくると思うので、待っている。

 

別姓訴訟の憲法学的問題については、色々思うところが当然あるのだが、それよりも気になったのは、速報が出た直後SNS上にあげられた本件決定に対する「感想」の中に決定内容についての明らかな誤解がみられた点である。

 例えば「最高裁は、夫婦別姓違憲だと判断したから、別姓は今後も禁止」という投稿については

最高裁夫婦別姓違憲であるとは判断していない。

②別姓制度を最高裁は禁止してはいない

③別姓制度は立法によって解決すべきと判断しているから、理論上は国会の立法によって実現可能。

 というような誤解の指摘ができる。

 

 私も完全に理解できてはいないが、憲法学的知識がなくとも速報の記事まで読めばそのような誤解は生じないであろう点についての誤解が多かったように思う。誤解を招きうるような速報の見出しもいくつかあったため、見出ししか読んでいない人の誤解は致し方ないと思う反面、その誤解が解ける機会はあるのだろうか?、SNS上に感想をあげる程度にはこの問題に関心のある人々が誤解したままなのはもったいないと思った。

”世論”を形成する多くの一般の人々は、わざわざ裁判所HPから検索して決定正本全文を読み、関連判例や評釈・学説まで調べて読むまではしないであろう。みんな忙しいし、専門書は小さな書店にはおいていないし、何より高価だ。読んだうえで、この理解であっているかと議論しあう人が、どれだけいるだろうか。

私も深い議論まではまだできていない。

 

平成27年判決では、婚姻・家族制度は「国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因」によって定められると判示している。「国民感情」が婚姻・家族制度の形成に影響するならば、誤解に基づきうまれた感情では適切な制度形成の議論はできない様に思う。

SNS上の見ず知らずの人たちの誤解が気になる一方で、私自身の理解も正しいのか確認したいが、普段接している人たちと面と向かって議論するのはちょっと怖かったりする。

夫婦別姓制に賛成・反対かという議論と、判示された内容や学説の理論を正しく理解できているかを確認しあうことは別であるから、賛否を表明せずとも議論できるはずなのだが。

 

 

 

障がい児の逸失利益の算定基準/命の価値・値段

 

視覚障害を持つ女児の死亡事故についての民事賠償事件について、大阪地裁で公判が開かれている。 

被告弁護人側が、聴覚障がい者は高校卒業時での思考力や学力などが小学校中学年の水準に留まるため、逸失利益は一般女性の40%で計算すべきであるという趣旨の主張を行っていたことから、この主張は差別だとして、聴覚障がい者団体などが10万人を超える署名を集めて、大阪地裁に提出していたらしい。

聴覚・視覚障害の弁護士たちが立ち上った! 難聴の11歳女児死亡事故裁判に異議(柳原三佳) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

民事賠償事件では、健常者よりも障がい者の賠償額が低くなることから、「障害者差別だ、命に値段をつけるなんておかしい 」とよく言われている。

 

裁判実務では「損害」を、生きていれば得られたはずであろう利益(→死亡したために得られなかった利益)ととらえている。そのため、労働により収入を得られる見込みのない者の逸失利益は少なくなるのだ。

だから、年に何億も稼ぐ経営者が死亡すれば億単位の逸失利益になるし、働いて自らの力で生活を立てていくことができない者の逸失利益は当然少なくなるのだ。

 

「損害」をこのようにとらえる限りは、「合理的な差異」であるし、命そのものに値段をつけているわけではない。

 

「人はみな平等なのだから、死亡の損害賠償は同じ金額であるべきだ」と主張する人もいるが、そちらの方が、命に値段をつけているといえる。

なぜなら、仮に、算定基準などなく死亡すれば皆等しく1億円と決めていたら、我々の命は「1億円」と値段がつけられたことになるからだ。

 

だから、「損害」を”奪われた命”そのもの”ではなく、”生きていれば得られたであろう金銭的利益”ととらえているのだろうか。

 

損害の概念がこれでよいのかという疑問もあるが、本事件で争われているのは、その逸失利益の算定基準である。

これは障がいのある方だけでなく、女性の問題でもある。

男女別の平均で算出されるため、男女別にした場合、女性の平均は男性平均よりも低いくなるため、男女別ではなく男女合わせた平均を基準とすべきだとの批判もある。

 

 

女性の働き方の変化や、障がい者雇用の促進、テクノロジーの進歩で、この先今の基準がもっと合わなくなってくるように思う。

聴覚障害のある女の子が将来得られたはずの収入は健常者の40%? テクノロジーが進歩する今、算出方法はこのままでいいのか(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース

 

障害者の逸失利益、健常者と同基準で算定 東京地裁判決: 日本経済新聞

 

使う物差しが変われば、おのずと結論も変わってくる。

死亡した女の子が二十歳を迎えるはずだった未来の社会状況を、裁判所はどう見るのだろうか。

裁判の行方に注目したい。

 

【参考】

『障害児死亡における損害賠償額の算定について』吉 村 良 一

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/19-56/022yoshimura.pdf